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musen_denshinno_kinjo.txt
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無線電信の近状
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)喋々《ちょうちょう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#傍点]
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無線電信というものは一体どうして出来るものかという事は今ここで喋々《ちょうちょう》せずともの事であるが、順序として一応簡単に云ってみれば、発信所で一つ大きな電気の火花を飛ばすとその周囲より空間全体に瀰漫《びまん》するエーテルに一種の波動を起し、この波動はエーテルを伝わって八方に拡がる。その有様は丁度静かな池の面に一つの石を投げ込んだ時、そこから起った波が次第に大きな輪となって拡がって行くようなものである。池の波紋が遂に汀《みぎわ》に達すると、そこに浮いている木の葉や板片《いたぎれ》が動揺し少時《しばらく》してまたもとの静平に復する。電気の波はもとより眼にも見えず耳にも聞えぬものだが、特別な受信器にはよく感じその器械の中で電気の動揺が起る。これだけの事を利用して通信の目的を達するに必要な物は、第一に発信所で電波を起す装置、第二に電波をなるべく遠方に達せしめるようにする仕掛け、第三には受信所に達した電波を受取る道具、第四には受取った電波に感じてあるいはベルを鳴らしあるいは符号を書いて電波の来た事を知らせる器械とこの四つが主なものである。
先ず第一に電波を起すために従来多く用いられたのは、いわゆる火花式《スパークテレグラフィー》またドイツのテレフンケンシステムと称するもので、すなわち感応《かんのう》コイルを用いて強烈なる火花を起し、その放電によって電波を生ずるのであるが、かくして起った波は不規則で、波の始めが強く終りが弱く消えてしまう。もしこんな風でなく始終強さの変らぬ規則正しい波を作る事が出来れば種々の便がある。それで近年になって規則正しい波を作る工夫が色々出来た。すなわちアーク灯の陰極になっている炭の棒を不断廻転させ、陽極には金属の棒を用い、これを水素または炭酸瓦斯で包んでなお強い磁力をアークの光部に作用させる。そしてこの陰陽両極の間を適当な電路で接続するとこの電路に規則正しい波が起るというのである。また近頃マルコニ氏はアーク灯などは用いず従来の火花式《スパークテレグラフィー》を少し変更すれば容易に規則正しい波を生ずる事を発明したと伝えられる。
第二に前述の発生器で生じた波動を空中に伝える物は、アンテナと称《とな》えて高い柱に張った針金である。従来はこのアンテナより発する電波はいずれの方向にも拡がって行くので一定の目的地の方角のみに送る事は出来難かった。反射鏡など使っても駄目であったが、近頃マルコニが作ったアンテナは従来の物のごとく垂直に立てず却って大部分を水平に張ったもので、これを用うればほとんど一定の方向にのみ波を送る事が出来るそうである。またもう一つの方法はブラウン氏の発明で、これは三本の垂直なアンテナから同時に波を送り、三つの波を互いに干渉させ、その結果ある方向に最も強い波の起るようにしたものである。
第三に受信地で電波を受取るにはやはり前述と同様なアンテナを用うるのであるが、これも前のマルコニ式の水平なのを用うればいずれの方角から波が来るかという判断が出来るそうである。
第四に電波に感じて受信器を活動させる部分は最も鋭敏を要するから、無線電信の創始以来種々の工夫が出来ている。最も普通ないわゆるコヒアラーと称するものは金属の粉が電波を受けると電気をよく通すようになる性質を利用したもので、広く用いられている。また磁石が電波を受けた瞬間にその磁力を変ずる事を利用したマルコニ式のマグネチック・デテクターと称するものもあって、これはごく遠距離の通信に限って用いられる。この外、近頃多く用いらるるエレクトロリチック・デテクターというのがある。これは硝酸を盛った容器の内に白金の板を一枚入れ、またこれに接近してごく細い白金線を入れたものである。この白金板と白金線とを連絡する電路中に電池と電話の受話器とを入れておく。すると遠くから来た電波がアンテナからこのデテクターに伝わると同時に白金の間の抵抗が減じ、従って電流が強くなって電話器で音を発する。発信所から送る波をあるいは長くあるいは短く断続して送れば受信器はそれに相当してあるいは長くあるいは短い音を発する故、丁度普通電信に用うると同じ符号で通信が出来るのである。なおこれを改良して近頃は符号などは用いず、言語をそのままに送るいわゆる[#傍点]無線電話[#傍点終わり]が出来るようになった。ベルリンとナウエンとの間十六マイルの距離に試みて成効したという。その仕掛けは簡単なものである。すなわち発信器の方では不断に規則正しい波を送りそのアンテナに電話の送話器を接続し、受信器には前述のエレクトロリチック・デテクターを用うればよいのである。遠からず大洋にある船舶と電話が出来る時が来るだろう。
なお受信器として白熱灯を用うるいわゆるグローランプ・デテクターというのも出来た。普通の白熱灯の炭素線の外囲にこれと触れぬくらいの金属筒を着せたものである。今電灯を点ずると、灼熱した炭素線から陰電気を帯びたいわゆる電子と称する微細なものが飛び出して金属筒に附着する。この時炭素線と筒との間に交番電流を通ずると、筒から線の方へ陰電気が通う事が出来ぬため、電流はもはや交番でなく直流に変じるのである。受信器のアンテナに電波が来れば急速な交番電流が起る、これを白熱灯デテクターおよび電流計あるいは電話の受話器に接続すれば、ごく微弱な電波でも感じるから遠距離の通信には都合のよいものである。
[#地から1字上げ](明治四十年九月十七日『東京朝日新聞』)
底本:「寺田寅彦全集 第十二巻」岩波書店
1997(平成9)年11月21日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 第六巻」岩波書店
1986(昭和61)年1月7日第2刷発行
初出:「東京朝日新聞」
1907(明治40)年9月17日
※初出時の署名は「TR」です。
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2021年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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